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岡山へ

11月の初めに引越しをしました。久しぶりの一人暮らしです。

それにともない出費がかさんでしまったという事もあり、ずっと行きたいと思っていた岡山芸術交流2019へ行こうかどうしようか、

直前までかなり迷っていました。

しかし、3年に一度しかないことを思うと行くべきだろうと思い立ち、某日日帰りで岡山へ行ってきました。

紅葉もはじまり、良いお天気にも恵まれた岡山市内はとても穏やかでした。

パメラ・ローゼンクランツ《皮膜のプール》

タレク・アトウィ《ワイルドなシンセ》

 

旧内山下小学校の体育館。一歩入った瞬間に「うわっ」と思いました。

会場全体が一つの楽器のような重厚感につつまれて、奥の方から光っているように見えました。

独自に作られた各々の楽器は配線一つとっても決してなんとなくではなく、作家の美意識が徹底されているのが見てとれて、うむむむむ……と、

心の中でうなってしまいました。

 

横浜トリエンナーレで初めて作品を観て気になっていたイアン・チェン。

映像作品を観ているとなぜか「千と千尋の物語」を思い出してしまいました。後から会場にいたスタッフの方が、

作家はジブリの大ファンなのだ…というようなことを話されていて、へー、となりました。

エティエンヌ・シャンボー《ソルト・スペース》《熱》

 

今回私が1番面白いな、と思った作品です。

がらんとした空間の床にちらばっているのは、粉砕された動物の骨。そうと聞かなければ、なにもない空間にただ砂や砂利が落ちているだけで、

素通りしてしまいそうな場所です。

骨だと知ると、しげしげと自分の足元を見てしまうし、なんだかぞわっともするのだけれど、でもふいに「本当に?」とも思いました。

制作風景を見たわけでもないのに、「さっき係の人がそう言ってたから」「キャプションにもそう書いてあるから」というだけで信じて見え方が変わってしまう。

又、床にまかれた骨を踏むと罪悪感のような少しのうしろめたさを感じてしまうのだけれど、でもそれが山道だったらどうかな?とか、同じ行為でもそういう事を強く意識したり、しなかったりと環境によってくるくる変わる自分の意識の変わりようについても考えるきっかけとなりました。

《熱》はマラリアにかかった患者の体温と同じ温度が柱に伝っています。そっと手を触れて温度を確かめました。

 

ほとんど自分の備忘録になっているので、ざっくりとしか書いていませんが、3年後、また開催されるのなら、また行きたいです。

帰りに静かなコーヒー屋さんでおいしいコーヒーをいただきました。

岡山は良さそうなお店もたくさんあって、今度はもっと時間に余裕をもって街を楽しむ事もしたいです。

3年前も同じことを思っていたような気がするのですが…… 次こそは!